●快楽と魂の自由と何を考えるかで人生が決まるという話。

 

年末に録画した、壇蜜さんがネパールを歩く「死とエロスの旅」という番組を見ました。

 

その中で、チベット仏教のシャルパ僧院を彼女は訪れていました。

 

この僧院は、ヤブユムをご本尊としています。

 

ヤブユムとは、ウィペディアによると、男性尊格(この場合仏様だと思われます)が配偶者と性的に結合した状を描いたシンボルということだそうです。

 

そして、このシャルパ僧院のヤブユム尊は、世界最大級。

 

僧院のご本尊は、前から見ると、男性尊格である仏様が正面を向いて胡坐をかいて座っている上に、配偶者が仏様に向き合って覆いかぶさるように重なっています。

 

この仏様の表情が、少しうつむき加減で、どことなく冷めたような、それでいて受け入れているような、でも快楽の真っ最中のような雰囲気は到底なく、エロスを感じつつも、セクシャルではないような、不思議な感じがします。

 

 

ある高僧の生まれ変わりだとされるシャルパ僧院の僧 シャルパ・リンポチェ氏は、このご本尊は「悟りの境地」を表していると話されていました。

 

「人々はセックスの快感がこの世で最高のものであると思っています。

 

その快楽を求めて人々は右往左往しますが、そこに本当の幸せはないのです。」

 

 

「仏教は、慈悲と知恵を尊びます。

 

その2つの結びつきこそが悟りであるとこのご本尊は表しており、その喜びは永遠なのです。」

 

そう説明されていました。

 

 

その後、壇蜜さんが「執着」について質問されていて、そのことについてはこう答えていらっしゃいました。

 

「一番大切なのは魂の自由です。

 

きれいな花を見てその美しさに囚われ、他のものが見えない、それは魂の自由が奪われている状態です。

 

花を見ながらも周囲を見渡せる、それこそが魂が自由な状態です。

 

そうなれば本当の意味の人生を楽しむことができます。

 

そして、恐れることなく死を受け入れられるようになるのです。」

 

最後に壇蜜さんが、「(リンポチェ氏の)考えに少し近づけた気がします」と言うと、

 

「何を考えるかによって人生は決まりますから」

 

と答えられていました。

 

 

ここまでの話から私が得た解釈は、快楽は通過点にしか過ぎないということです。

 

往々にして人間は快楽を目標にしがちであり、快楽を最終ゴールとしたところで本当の自由は得られないということ。

 

セックス

お金

地位

名誉

権力

etc

 

これらは人間として生きる中で、通過点として存在するもしくは存在するかもしれないもので、これらを最終ゴールとして見なしている場合、美しい花に囚われている状態と同じなのだと言えます。

 

ただ、人生を楽しんで生きていくうえで、快楽は重要な要素を持っていることは否定しませんし、私自身も楽しく生きていくために、快楽を必要としています。

 

そして、ご本尊自体も快楽を受け入れているからこそ、ヤブユムが存在しており、美しい花自体を否定しているわけではないように、快楽自体を否定しているわけではないということなのだと思います。

 

ただ、そこには最高潮の喜びはなく、快楽にすべてを求めることはできない。

 

ですから、快楽に囚われず、魂が自由な状態で生きていくために、考えることが大事なのであり、「何を考えるかによって人生は決まる」ということなのでしょう。

 

 

※ヤブユムに対する解釈は、仏教とヒンズー教では違うそうです(ウィキペディアによると)。

 

興味のある方は調べられてみてくださいね。