先日、初めて訪れたホームセンターの向こうに、おそらく氏神様的な存在の神社を見つけました。
マンションもたくさん建っている住宅地の中で、たくさんの木々が生い茂っている神社でした。
なんとなく気になって入ってみることにしました。
鳥居はよく見るものよりも小さく、そこには「神明神社」と書かれていました。
鳥居をくぐると、そこは小さな谷でした。
アップダウンが結構ある谷で、昔はきっとこの辺りをいろんな動物も駆け回っていたことでしょう。
アップダウンを越えると、小さなお宮が見えました。
敷地の大きさに対して、お宮の小ささがなんだか不釣り合いな感じがしました。
そして、近づくにつれ、少しずつ重たい感じがしてきました。
それは、感情でいうと、悲しい感じでした。
もしかしたら、昔のように人々がこの神社に足を運ばないからなのかな、とふと思いました。
けれども、小さなお宮ではありますが、とてもきれいにされていて、榊もちゃんとお供えされていました。
そこには、天照大神様がお祀りされていました。
手を合わせ、静かにお話をしてみました。
「今の人々は心のふるさとを忘れています。
昔は、こういった神社に人々は集まり、神の近くで祭りをし、話し合い、生活を共にしてきたことで、自分自身と向き合い、自分の心の声(魂の声)を聴くことが出来ました。
でも、今ではそういう機会が減ってしまい、人々は悩みやすく、迷走しやすくなってしまいました。
宗教に回帰せよということではないのです。
心のふるさとを取り戻すことが大事なのです。」
このお話を私なりに解釈をしてみます。
寺社仏閣というのは、そもそもエネルギーの発信地みたいもので、どの宗教を信仰しているとか、そういうことは関係なく、訪れればどの人もそのエネルギーに触れることが出来ます。
神様によってご利益が様々あり、お参りに行くとそのご利益を頂けるというのも、そのエネルギーを頂いているからだとも考えられます。
でも、そもそもは神様に会いに行くというのは、人間の願い事を聞いてもらうためだけに行くものではありません。
神様のところに向かうまでの間や神社での時間は、自分の心と向き合う時間だったのです。
それは神様からのエネルギーを受けながら、自分と向き合う大事な時間だったはずです。
ただただ願いだけを聞いてもらうという他力ではなく、そこに自分と向き合うという自力があったからこそのご利益だったのではないでしょうか。
何も神様は、神社にしょっちゅう足を運びなさいと言っているのではありません。
自分と向き合う時間をしっかりと取りなさい。
自分の心、魂と向き合う大事な時間を思い出しなさい。
そう伝えたかったのだと思うのです。
お話が終わると、最後に金色の珠をくださいました。
「この珠は、必要な時に人々の頭上に掲げ、人々が元気を取り戻せるように照らすものです。」
照らすもの、なるほど、と思い、お礼をしてその場を去りました。
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きゃさりん (金曜日, 12 2月 2016 01:25)
すうっと言葉が染み込みました。
今の私にも内なる神、内なる声と繫がる事が必要なんだろうなぁ。
Megumi (日曜日, 14 2月 2016 13:46)
>きゃさりんさん
そうおっしゃって頂けると嬉しいです。
外の声についつい惑わされますが、内なる声に耳を傾けることが、まずは大事なんでしょうね。