「ダメな私」をただ止める。

 

 

私は人の話を聞き流すということがあまり得意ではない。根はクソ真面目なので(汚い言葉で失礼!)、言われたことを真面目に受け止めるし、間に受ける。高校時代の先生や以前の職場の上司から「悪い男に騙されそう」だとか「そんなに素直だと人に騙されるよ」とか、言われたことがある。性善説の下に人との付き合いをしているような気がしていたが、どうもそれではうまくいかないと思うようなことも多かった。ちゃんと話し合えばどんな人とも分かり合える、そう心から信じていた節がある。そして、私が伝えたいことも言葉を尽くせばわかってもらえる、そうも思っていた。

 

 

 

今のヒーリングという仕事とは関係なしに、昔から人にアドバイスすることが多く、アドバイスされることも多い。私はあまり年齢を考慮して人と付き合わない。年齢で人を判断することにあまり意味を感じていない。どんな人にも敬意を払うものだと思うし、今世での年齢だけで経験値が高いとか偉いとかは測れないことを、昔からなんとなく思っていた。赤ちゃんでも年配者でも変わらず、気づきや学びを与えてくれる尊い存在だ。しかし、他者には敬意を払えても、自分に敬意を払えていなかったのだと気づく。自分は智慧を持って人生の判断を下せない取るに足らない存在だと心の深い部分で思っていると、他者の意見がすべて正しく従うべきものだと思ってしまう。「その人にとっては正しいかもしれないが、自分にとっては正しいとは限らない」という選択が出来なくなってしまう。

 

 

 

 

例えば、「あなたの脚は太いから、細くするにはこの運動をするといいわよ」と言われたら、あなたはどのように思うだろうか?今までの私は、「私の脚は太くて醜い」と言われているように感じていた。そして、「脚は細くあるべきで、それが本来の正しい姿だ」とも思った。正しい姿になるためには細くなるための努力をしなければならず、またその努力ができない自分は怠け者で、どうしようもなくダメな人間だと感じていた。細くするために努力をすればいいと頭ではわかっていても、努力をしようとしない怠惰な人間、そう思うのだ。そして、この考えは脚だけに及ばない。すべてに波及する。甘いものをやめればいいのにやめられない。英単語を覚えればいいのに覚えられない。片付けをすればいいのにしない。人生の中でそれほど取るに足らないことまで、すべてにおいて自分はどれだけダメな人間かを物語ることが増えていく。これが溜まりに溜まっていくと、自分が思う自分の価値はどんどんと下がり、こんなにダメな人間は何をしてもダメだ、消えてなくなりたい、そう思うところまで行き着く。

 

 

 

 

果たして脚は細くないといけないのだろうか。脚が細い自分でなければ美しくないのだろうか。脚が細くなければ幸せは手にできないのだろうか。脚が細くなければならないという思い込みは、どこから来ているのだろうか。もし仮に脚が太いということに、未来に向かって進むことに対しての不安が心理的な意味として隠されていたとしても、その不安は持ってはいけないものだろうか。この世界に勇気を持って生を受けた私たちが、不安や恐れを持つことは自然なことであって悪ではない。人間として生まれたことはかなりのチャンレンジだ。課題はたくさんあり、その課題をこなしていくことで私たちは成長していく。不安や恐れはその課題の一つみたいなものだ。「あれもダメ」「これもダメ」ダメが増えていくことで、恐れは増殖していくのだろうと思う。恐れはあなたを容易により複雑な世界へと引き込んでいく。課題は増えていく一方だ。

 

 


自分と向き合うという「自分の内側に入っていく」ということをすると、どれだけ自分が思い込みで生きてきたかに気づく。そして、ほかでもない自分が自分自身にどれだけダメ出しをしてきたかに気づく。ダメ出しの理由にも気づく。でも、ダメ出しの嵐から抜け出すには、「ダメ出しを止める」。これしかない。「それが出来れば苦労しないよ!」そう思うかもしれない。実際、私もそう思っていた。でも、実際そうなのだ。「ダメ出しをすることがダメ」なのではなく、「ダメ出しをすることをただ止める」のだ。それは、「まるごとの自分を受け止める」ことへの決意のようなものだ。「どんな自分も自分」ということを受け止める。脚が短いのに長い自分になることをいつまでも願っていても叶うことはない。脚の短い自分をまるごと受け止める。それは「脚の短い自分は醜い」という幻想から抜け出すことを意味する。「今の自分が美しい」という現実を受け止めることだ。モデルのような体型だけが美しいのではない、素晴らしいのではない。「あなた」が美しいのだ。まるごとの自分を受け止められた時、他者からのアドバイスは、アドバイスとして受け止められる。あなたを非難するものにはならないし、あなたが従わなければならないものにはならない。ただのアドバイスになるのだ。そして、他者との関わりは、結局は自分を中心に自分が受け止めたカタチの一つだということに気づく。あなたはあなたの世界の中心にいて、あなたの世界の主人公だから、そこを中心に人間関係は拡がっていく。あなたの学びに必要な人間関係が拡がっていくのだ。そこに気づき出すと、あなたの人間関係は変わっていく。あなたが変わることで、身近な人が今までとは違う発言をするようになるかもしれないし、付き合い方が変わるかもしれない。あなたの人生はあなたが創っているというのは、そういうことなのだ。

 

 

 

極端な性善説で人と付き合ってきた私だが、それはちょっと違うのかもしれないと今は思う(その逆でもないのは然り)。それは、盲目的に他者を信じ、自分を信じていなかったからだ。まずは自分への信頼を強固なものにする。そのためには、自分の内側に入り、溜め込んできた感情や思い込みを手放していく。あなたがあなた自身を信じる力を持つことで、他者に言われた否定的だと感じる言葉も、あなたの思い込みに加担するようなエネルギーを失う。そして、あなたはまるごとのあなたを受け止めていける。これが、この一年私が学んだことだ。

 

 

 

※写真はアメリカ・アリゾナ州北東部にある化石の森国立公園で夫が撮ってくれた一枚。広大なアメリカを車で走るのは本当に気持ちがいいです。

 

 

★新メニューはじめました★

エネルギー調整リーディング、受けてみませんか?

↓↓↓